邇邇芸命は、天照大御神の子 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の子とされています。

つまり、天照大御神の孫にあたります。

 

この邇邇芸命が葦原中国に降り立つ物語は天孫降臨としてまとめられていますが、
その前の逸話として国譲りという物語があります。

詳しくは別のところに譲るとして、簡単に説明すると

高天原(天津国:天上)の天照大神から
葦原中津国(中津国:地上)の支配権委譲を求める使者が4回派遣され、
やっと4回目で中津神である大国主命が
「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。
その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。
そうすれば私は百(もも)足らず八十坰手(やそくまで)へ隠れましょう。
私の180柱の子神たちは、長男の事代主神に従って天津神に背かないでしょう」
と答え、葦原中国の国譲りが決まったという物語です。

 

この報告を受けた天照大神と高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は、
天照大神の子 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に
天降って(地上に降りて)葦原中国を治めるよう命じます。

 

すると天忍穂耳命が
「準備をしている間に邇邇芸命が生まれたのでこの子を降ろすべきでしょう」
と答えたため、2柱は邇邇芸命に葦原中津国の統治を委任、天降りを命じたのです。

 

これが邇邇芸命の天孫降臨の物語の始まりですが、
この中にたくさんのエピソードが盛り込まれています。

 

見送りの神々と共に、邇邇藝命が天降り(地上に降りる)をしようと道をすすんでいるとき、
分岐点である天の八衢(やちまた)にさしかかりました。
するとそこに、高天原から葦原中国までを照らす神がました。
その神の名前がわからず、天照大御神と高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は
天宇受売命(あめのうずめのみこと)に、その神に誰なのか尋ねるよう命じました。

 

その神は国津神の猿田毘古神(さるたひこのかみ)で、
天津神の御子が天降りすると聞き先導のため迎えに来たということを説明したそうです。

 

猿田毘古神の先導で邇邇芸命の一行が天降ります。

 

邇邇藝命の天降りには、天照大御神に命じられ、天児屋命(あまのこやねのみこと)、
布刀玉命(ふとだまのみこと)、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、
伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)の
五伴緒神(いつとものおのかみ)と呼ばれる5柱が従っています。

 

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加えて、天照大御神は三種の神器(八咫鏡(やたのかがみ)
・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名:草薙剣)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま))と
思金神(おもいかねのかみ:高御産巣日神の子)、手力男神(たじからをのかみ)、
天石門別神(あまのいわとわけのかみ)の3柱を共に副え、
「この鏡を私の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。
思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」と言ったと記されています。

 

この3柱のうちの思金神(おもいかねのかみ)、手力男神(たじからをのかみ)とさきほどの
天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、天照大御神が天岩戸に隠れたときにも登場しています。

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邇邇藝命の一行は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、
筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降ったとされます。

日に向かうという地名が太陽神(天照大御神)の関係者(天津神)が降りるに
ふさわしい地名と考えることができるようです。

伊邪那岐尊が黄泉の国から伊邪那美尊を連れ戻そうとして失敗し、
逃げ帰ったのが日向の国とされていますので、神話では重要な国ですね。

 

道案内をした猿田毘古神は国津神でしたので、
邇邇藝命は天宇受売命に、猿田毘古神を送り届けて、
その神の名を負って仕えるよう言ったそうです。

 

つまり夫婦になったというわけです。
そして猿田毘古神の名を負って猿女君と呼ばれるようになったとされます。

 

この天宇受売命のエピソードとして紹介しておくのは私が思わずニヤリとしたことをご紹介。

 

天宇受売命が笠沙(かささ)の岬で、たい、ひらめ、うに、ほたて、たこ、いか、まぐろ、とびうお、
すずき、ちょうちんあんこう、ナマコなどすべての種類の魚を呼び寄せました。

 

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そして、て天津神の御子である邇邇藝命に仕えるか(食べ物として?)と問うたとき
魚たちはみな仕えますと答えたにもかかわらず、ナマコだけが答えなかったそうです。

すると、天宇受売命は小刀を取り出し「この口は答えない口か」と言って、
小刀でナマコの口を裂いてしまったのだそうです。

これが原因で、今でもナマコの口は裂けているといわれています。

初めて知ったという方は、是非今度ナマコを見た時に確かめてくださいね。

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邇邇芸命の方に話を戻しましょう。

邇邇芸命は笠沙の岬に降り立った折に、美しい娘に出会い一目ぼれしました。
邇邇芸命がすぐさま求婚しますが、その娘 木花之佐久夜毘売 は父に訊くように
といいます。

 

この父は国津神の大山津見神です。

 

邇邇芸命が大山津見神に木花之佐久夜毘売を妻にと求めると、
大いに喜び、姉の石長比売とともに嫁がせたとされてます。

しかし、石長比売はとても醜かったので、邇邇藝命は石長比売を送り返し、
木花之佐久夜毘売だけと結婚しました。

 

大山津見神は
「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、
『石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇藝命)の命は岩のように永遠のものとなり、
木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろう』と誓約(うけひ)を
したからである。」
「木花之佐久夜毘売だけと結婚したので、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」
と言ったとされます。

それで、現在でも天津神の御子(天皇)の寿命はもとの天津神と比べ長くなくなったとされます。

 

もう一つ、この2柱のエピソード

木花之佐久夜毘売がすぐに懐妊した折に、邇邇芸命は自分の子ではなく
国津神のこだろうと怪しみ認めようとしませんでした。

木花之佐久夜毘売は「この子が国津神の子なら、産む時に無事ではないでしょう。
天津神の子なら、無事でしょう」と誓約をし、火を放った産屋で出産し、
無事神の子であることを証明したとされます。

 

この2つのエピソードからは、邇邇芸命のイメージが
少し、情けないものになってしまいますね。

 

この天孫降臨の物語が

神様の御用人(5) (メディアワークス文庫) [ 浅葉なつ ]の根底にあるようです。

 

 

この小説では御用人がこの邇邇芸命と木花之佐久夜比売の確執(or誤解?)を
解くために奔走する御用人が描かれています。